みなさん、はじめまして福嶋 豊(ふくしま ゆたか)と申します。

1981年生まれの41歳おとめ座のO型です。

動物占いでは束縛嫌う自由人のペガサス。

家族構成は私と妻、娘と息子の4人家族です。

では、もー少しだけ詳しくご紹介させていただきますね。

15歳で中学校を卒業してはじめに現場の仕事に就きました。サッシ回りなど防水加工を行うコーキングをするお仕事です。高層ビルみたいな現場で仕事をすることもありましたし、建売住宅の仕事を行うこともありました。

中学を卒業して初めての仕事です。何にもわかりませんので、職長(責任者)に聞きながら少しずつ仕事を覚えていく毎日でした。

高層ビルの現場では何十階って高さのところまで階段で材料を運ぶだけでも一苦労です。簡易のエレベーターみたいなものもありましたが、多数の会社が入っている現場でいろいろな職人さんが活用することもあっていつも満員でしたので、疲れるものの階段を使ったほうが早いってだけで材料や道具の運搬ではひたすら階段を往復をしていました。

ただ、そんな毎日汗だくになっていたにも関わらずわずか半年で辞めてしまいました。

若かったんでしょうね。ちょっと会社で問題がありまして、それで人間と話がかみ合わなくって…。

その後は美容師になろうと一念発起します。

中学の同級生にお願いして勉強を教えてもらい、地元の高校に受験し見事合格します。

一年遅れで入った高校は同級生の中にも仲間ができましたし、一学年上には地元の仲間もいましたので楽しく過ごさせてもらいました。学校が終わったら近くのスーパーでアルバイト。給料が入ったらパーッと使い切ってってことを繰り返す日々です。

しかし、そこもまた一年で退学。

その当時の私が知っていた情報では、『美容師の専門学校に通うためには高校を卒業していないといけない。』ということでした。ですが、親から専門学校に通わせるお金がないと言われてしまうのです。

ここでもまだまだ若かったんでしょう。であればということで、すぐに学校はやめて本格的に働くことにしました。

高校の時に働いていたアルバイト先では稼ぎが見込めないことから、実家近くのリサイクルショップで働くことにしました。

働き始めて約2年で社員として採用してもらうことができました。それからほどなくしてとある店舗の店長が退職することになったのでそこでリーダーとして働かせてもらいます。

確か当時20歳そこそこ。周りは自分の親やばあちゃんと同じような年齢の方々ばかり。

こっちはバリバリに働いていたこともあって自分ではできる人間だと過信しまくっちゃっていたんですけど、不思議と売り上げは右肩上がりであがっていったんです。

そーなるとこっちは余計に天狗になっちゃうわけですよ。周りの応援してくれていた方々が裏でこっそりフォローしてくれていたことなんてつゆ知らずにね。

自分を振り返ろうとしないで過信が続けばしっぺ返しがくるもんです。

次第に従業員ともかみ合わないところがでてきて売り上げも下がってきます。

そこから店長として他の店舗を2年~3年で転々とすることになり様々な研修に参加させられることになります。

研修って本当に様々なものがあるんですね。

話を聞いていても全く頭に入ってこない内容もあれば、喰いつくようにして聞き入ってしまうものもありました。中には大谷翔平選手も活用したといわれている『原田メソッド』なるものもありました。

はじめは休みの日に研修に参加するとかめんどくさいなと思っていましたが、完全に天狗になっていた自分にとっては講師の方のお話も参加者とのグループワークでのやり取りもとても刺激的で自分自身を振り返る良い機会になり、段々と研修に参加させられている理由に気づき始めます。

周りのスタッフが助けてくれていることやお客さんが親切にしてくれていることに気づいてきたのはその頃くらいからでしょうかね。

ちなみに私がお客さんをお客様とは言わずに○○さんとかお客さんと呼ぶのには親近感を持ってということともう一つ、お互いにWin-Winであると思うから。

私たちは商品やサービス買ってもらうことによって給料がもらえて生活することができますし、お客さんはそのことで生活がうるおいますよね。

だから売れればいいといった売上至上主義というのではなく、必要がなければ必要ないと言っちゃいますし、単にわがままなお客さんにはお帰りいただきます。

まぁ、そんなこんなで20年間走り続けてきた訳ですが、ひょんなところから北海道への移住話があがってきたのです。

次回は、自己紹介その2

『福嶋家北海道へ移住する』です。